自己紹介
●略歴
- 1946年 群馬県生まれ、59歳。
- 1965年 群馬県立大泉高等学校卒業。高校卒業後、東京で貿易会社に就職。
- 1987年 名張市に転居。
- 1990年 職を辞して市議選に立候補、当選4回。この間、教育民生常任委員会副委員長、総務企画副委員長、産業公営企業副委員長を歴任。
- 現在、党中部地区委員、党名張市委員長、教育民生委員長、ゴミゼロリサイクル推進協議会委員、介護保険推進協議会委員 。
●私の歩み
幼いころ〜学生時代

群馬県に生まれ、姉三人、兄二人を持つ末っ子として育ちました。
スポーツが好きでクラブの在席は、六年間バレーボール、他に陸上競技(リレーや短距離走・走り幅跳び)は、地域やクラスの代表で選手に。趣味としては、スケートやスキーを楽しんできました。また、生徒会活動にも参加し、思い出いっぱいの時代を過ごしました。
結婚しても、子どもが生まれてもずっと働き続けたい

経済的なことから進学をあきらめ、「働き続けるために何か身につけたい」と模索しながら、片道2.5時間の東京(両国)へ就職。日曜日には、東京(御徒町)で1日中、英文タイプの勉強。ここからのスタートで翻訳会社や貿易実務の仕事に就き25年。最後の職場で友達に勧められ日本共産党に入党。この職場では、女性は結婚退職が常識でしたが、結婚後も出産後も働き続けることの第一人者になり後輩に道を開きました。
女性が仕事を続けるには周辺の理解と協力が必要

保育所へのお迎えを、自宅から離れた義母に託すため、離乳食のお弁当を作って、混雑する通勤バスや電車を5回乗り継いで職場に向かった経験は、今でも忘れられません。夕方、義母宅への迎えは夫の仕事になっており、女性が仕事を続けることの大変さを体験してきました。
職場でどうしても残業を求められたときには、同僚の車に乗せてもらい保育所へ行き、子づれで会社に舞い戻り仕事を終えて帰宅したこともあり、働きながら子育てしているお母さんへの条件整備が欠かせないと実感しました。
名張に住み19年、議員として16年に

名張にきて、片道2時間かけて大阪への通勤を3年間続けました。小学校の息子を抱え、残業あり泊りの出張ありの職場を全うするには、夫の協力が欠かせませんでした。この頃、党から市議選出馬の要請があり、長年勤めた職場を退職しました。大阪方面から移り住んだ、お母さんから「学童保育を作って欲しい」「ごみの収集を曜日指定して、週2回にして!」。この声が出発点でした。この間、介護保険の問題点を指摘して充実を求め、高い国保税の不況減免制度をつくらせるなど、暮らしを守り、福祉の充実を求めて活動してきました。生活相談も日常茶飯事と多忙を極めています。